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レイチェル・カーソンのつどい2023

今年でレイチェル・カーソン日本協会は、関西フォーラム設立15周年、東海フォーラム5周年を迎えることになりました。
このことを記念して、アースデーの2023年4月22日に、なごや国際センターにおいて「レイチェル・カーソンのつどい2023」を開催しました。
杉山範子さん


約3時間に亘ったつどいでは、映画「WENDE2未来へのアプローチ」(95分)を鑑賞の後、映画に主演されていた杉山範子さん(名古屋大学大学院環境学研究科特任准教授)による講演「持続可能な未来社会に向かって」があり、杉山さん、映画の監督高垣博也さん、レイチェル・カーソン関西フォーラム代表原強さんを交えて「未来へのアプローチ」についてのトークが繰り広げられました。
杉山さんからは気候変動に対して感性を大切にしたい。気まぐれの行動では対応しきれず、社会のルール変更をもたらす行動が望まれる。高垣さんからはエネルギーの地産地消に一歩踏み出すような映画を目指した。また原さんからは気候変動問題に対して国際社会の取り組みは必要だが、それが不十分であっても地域からできることはある、そのことをこの映画から学んだとの発言がありました。
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会場は全国から70名程の参加者の熱気で溢れました。
会場発言

水俣と福島「困難な過去」をどう継承するか


2022/12/17 レイチェル・カーソン日本協会東海フォーラムによる「なごや環境大学2022後期共育講座」が開講されました。
2022後期講座の第3回は、水俣と福島「困難な過去」をどう継承するか、をテーマに、大阪公立大学院研究科除本理史教授による講義がなごや国際センターにて開催されました。

除本理史先生は大阪市立大学環境経済学宮本憲一先生の研究室を引き継いでおられ、いわゆる「公害研究」の編集グループでご活躍されています。
講義開始

『沈黙の春』出版から60年、四日市公害判決から50年になる2022年の今、全国各地で「公害経験の継承」が課題となってきているが、それぞれの地域の歴史、社会、特性が複雑に交錯し継承がスムーズに進んでいない状況にある。

 先生の講義は、この「継承の問題を考えたい」、とトマス・コバンの著作Public Historyの紹介から始まった。この本は大災害、大事故、戦争、植民地支配、奴隷制などを『困難な過去』、『困難な歴史』とし、これらから得られる歴史的教訓を市民の立場でいかに引き継いでいくのかを述べている。なぜ困難と言われるのか、それは社会のなかで被害者、加害者が複雑に絡み合っているからである。
公害も大災害、大事故、更には戦争、植民地支配、奴隷制などと同じく多くの人的(環境的)犠牲を伴った『困難な過去』、『困難な歴史』と考えられる。
公害を次世代に正しく継承し考えることは人権・平和など人間社会の普遍的価値を深く考えることに繋がるが、これらの継承問題を巡る議論は、被害者と加害者という特定の立場に立った議論に陥りやすく、互いの合意形成が難しく分裂を招き易くなっている。
分裂を乗り超え正しく継承するにはどうすればいいのか?

過去の事実・課題を、被害者・加害者の視点だけで捉えるのではなく、多視点性を持った目で再解釈すべきである。お互いのコミュニケーションのなかで多様な視点からの解釈を許容する姿勢を持つべきである。このことが、分裂分断を緩和し、互いに住む「地域の価値」に気付きスムーズな継承に繋がっていく。

『困難な過去』、『困難な歴史』をめぐるコミュニケーションでは当事者に対する倫理的配慮や生命、健康、人権や平和という普遍的価値を尊重することは当然である。
加害者と被害者の立場を引きずっていては『困難な過去』、『困難な歴史』から深い教訓を学び継承していくことは難しい。『困難な過去』、『困難な歴史』の継承は、多視点性を持った目で過去の事実の再解釈をすることで、互いに住む地域の価値として気づき認め合い共有していくなかから可能となっていく。
講義中

多視点性の目で公害経験の継承を①水俣病、②福島原発事故、③水島コンビナート公害を例に考えたい。
① 水俣病
★正当な補償問題、地域経済、加害企業の衰退(水俣は典型的な企業城下町で、地域全体が被害者と加害者の対立関係にあった。)

➡水俣市長は、地域の分断崩壊を乗り超え地域再生をめざすため「もやい直し」を標語にかかげ水俣病を前面に打ち出し、水俣病を地域固有の個性価値として打ち出した。
➡水俣病学習として、チッソを糾弾するのでも免罪するのでもなく公害経験を踏まえて社会に対する企業責任の在り方を学んでいる。
➡水俣病の学習を観光振興へと結びつける努力している。
海で生計を立てられなくなった患者たちが甘夏生産に転換し、消費地へ水俣病を伝えながら有機農産品を販売するグループが誕生している。

② 福島原発事故
★都市部から地方へのリスクの押しつけ、結果として地方住民がふるさとを奪われた。
(放射線被ばく、大規模な住民避難、避難の長期化、不安、人生設計の崩壊、ふるさとの喪失、地域社会の崩壊、避難地域内外での賠償格差)

➡一面的な官製の継承は進められているが、ふるさと喪失市民側からの継承が課題。
➡飯館村では日本一美しい村を合言葉に独自の住民参加の地域作りに努力していたが福島事故で状況は一変した。
➡飯館村では景観的価値の見直し、農村空間の商品化を図り、また各自避難先では提供商品の質の向上を図りながら事業の再開を進めている。

◎現在の地域作りに関して「福島の経験を継承する」トークセッションが2023/1/21・22に開催される。

次に多視点性の観点から協働の活動が進み公害経験の継承が進展している水島コンビナート公害を取り上げたい。
(みずしま財団林美帆さん登壇)
林さんとともに

③ 水島コンビナート公害
★公害裁判・和解等の経過を経ても地域社会に典型的な被害者と加害者の敵対関係が残る。
➡水島公害地域で新たな街づくりに挑戦
1994公害訴訟判決
1995『水島再生プラン』作成
1996公害裁判和解、
2000みずしま財団設立
2022みずしま資料館開設
➡公害継承としての資料館活動の協働ポイント
① 地域歴史を掘り起こす
② 複数人で地域の人とヒアリング
③ 現在・過去・未来でストーリー化し全員でチェック
④ 過去の写真、資料を探し出す
⑤ 結果を小冊子『水島メモリーズ』にまとめ配布する。
➡この地域協働の公害継承活動をまとめた『地域の価値をつくるー倉敷・水島の公害から環境再生へ』を刊行
みずしま財団の活動は、現代日本の地域方向性を探るひとつの指針になるのではないか。

講義のまとめとして除本先生は、
公害被害を受けた地域における協働の難しさは、『困難な過去』をめぐる立場の違いに起因しているが過去を避けて通ることは問題の解決につながらない。むしろ『困難な過去』に積極的に向き合う必要があり、公害経験の継承に積極的に取り組むことが協働のきっかけになるとまとめられた。

『水島メモリーズ』によると水島コンビナートは太平洋戦争中に三菱重工名古屋航空機製作所が水島に進出したことに端を発するそうです。その水島が多視点の目で公害資料館を開設し公害経験の継承に頑張っている事実をお聞きし、名古屋に住む我々も公害継承へ意を強くしました。


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さて今期講座もこれで終了です。
2023年も引き続いて、レイチェル・カーソンの思いをつなぐ講座を企画しています。
みなさま、良いお年を!

来年もどうぞよろしくお願いします。

「沈黙の春」出版60年の集い

2022/11/19 レイチェル・カーソン日本協会東海フォーラムによる「なごや環境大学2022後期共育講座」が開講されました。

2022後期講座の第2回として、レイチェル・カーソンの生涯、偉業を学び将来に伝え継ぐための”『沈黙の春』出版60年の集い“が、なごや国際センター展示室にて開催されました。
「沈黙の春」出版60年の集い・展示1

『沈黙の春』が出版されたのは1962年。今年2022年はそれから60年になります。
11時からの開会の後、レイチェル・カーソン日本協会上遠恵子会長による講演記録ビデオを視聴(50分)
その後レイチェル・カーソン日本協会関西フォーラム代表の原強さんによるミニレクチュア”人新世の『沈黙の春』”を聴講
お昼休憩の間は、展示スペースでのパネルでカーソンの生涯や偉業を学びながら原強さんを中心に参加者相互の交流を図りました。
14時からは、午前中と同様に、上遠会長ビデオ及び原強さんによるミニレクチュアを聴講しました。
上遠恵子会長ビデオ

ビデオ視聴参考資料として、上遠恵子会長による”不思議な出会い”が配布されました。
上遠会長は資料のなかで”レイチェル・カーソンとの出会いは、地球は人間だけのものではないことを教え、私を成長させてくれました。”と語っています。
また、原強さんによるミニレクチュアでは、人新世の『沈黙の春』の資料を配布されました。
原さんは、現代を人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代と時代認識して、『沈黙の春』を読み直すことを提案。
『沈黙の春』は直接的にはDDTなどの農薬・殺虫剤が自然の生態系、さらには人間の健康まで影響を及ぼすことを警告したものですが、人間中心主義への反省を求め、人間と自然の関係を修復していこうとよびかけたものでもあったといえます。そしてこのようなメッセージは人新世といわれるこんにち、私たちが何を大事にしなければいけないかを示しているといえるのではないでしょうか。私は「20世紀というわずかのあいだに、人間という一族が、恐るべき力を手に入れて、自然を変えようとしている」と述べるレイチェル・カーソンの思いを正面からうけとめ、未来への指針をみつけだしたいと思います。
との問題提起で締めくくられた。
レクチャー関西フォーラム代表・原強

午前から午後を通して中学生の参加もあり、この日の集いからはレイチェル・カーソンの偉業を伝え継ぐ私たちの活動に力強いエネルギーをいただきました。
 
次回のなごや環境大学後期講座は
大阪公立大学除本理史教授による”水俣と福島「困難な過去」をどう承継するのか”です

12月17日(土)14時〜16時
なごや国際センターに於いて開催です。

カーソンと石牟礼の危惧

2022共育講座 カーソンと石牟礼の危惧―現代の人間存在を問う
2022/10/15 レイチェル・カーソン日本協会東海フォーラムによる「なごや環境大学2022後期共育講座」が開講されました。なごや祭りで賑わう名古屋駅前、なごや国際センターでの開講です。
会長説明

2022後期講座の第1回はNPO法人水俣フォーラム理事長実川悠太さんによる「カーソンと石牟礼の危惧―現代の人間存在を問う」です。
環境破壊にとどまらず地球を食い尽くす勢いの70億人。「沈黙の春」のRカーソンと「苦海浄土」の石牟礼道子に導かれて、人類のあり方を考える講座です。

実川悠太さんからはこれまでも水俣病のことを多く学んできました。今回はRカーソンと石牟礼道子に導かれて現代の人間存在を考えると言う難しそうなお話です。
この2人、戦争を挟んで生存年が重なっていることは知っていましたが、重ね合わせて考えたことは今までなく、興味津々受講者も多く集まり、一同緊張気味で始まりました。ですが、いざ実川さんの話が始まると、いつもの快調なテンポの話にみなさん引き込まれていきました。
実川さん熱弁

初めにRカーソンの生涯を東海フォーラム伊藤容子代表が紹介しました。

Rカーソンは、恩師に強い影響を受けて生きものと環境ヘの関心を深め、「沈黙の春」などの著作で、DDTなどの化学物質や放射性物質が健康に与える影響を示唆し、アメリカ社会を変えたとさえ言われた。この時代に女性が社会を変えるほどのインパクトを与えたことは驚きであり尊敬する。彼女の想いは「センスオブワンダー」に表現されている。

続いて実川さんが講義を引き取った。

石牟礼は1927年に天草で石工の組頭の家に生まれた(その後水俣へ)。当時は道路の工事などは石工が中心で家にはおおくの多様な使用人がいた。家族の事業失敗から都市部から海辺に移り、自然と社会を見る目が育まれた。
終戦前、代用教員になっていたが、戦後の社会に強い違和感を持ち、退職、結婚。結核で入院した息子の看病で病院へ通い、その時初めて水俣病患者に出会い強いショックを受けた。
1969年「苦海浄土」を発表したが、この本は単に水俣病を告発しているのではない。「人間はいかにあるべきか」を考えさせる。

Rカーソンと石牟礼道子、2人の接点は1972年6月のストックホルムで開催された国連人間環境会議に求められる。この会議は環境問題についての世界で初めての大規模な国際会議だった。「かけがえのない地球」がキャッチフレーズになったことからもRカーソンが開催のきっかけになっていたと言える。この会議には日本の水俣病患者も参加し、全世界に水俣病、環境被害の悲惨さを訴えた。

この2人が今日の人類に危惧していることが、本日のテーマなのだが、今日とは具体的にいつからのことであろうか。
①1945〜戦後、②1968〜世界的な学生運動の多発や公害問題などの顕在化による変革、③1990〜東西対立の終息、に分けて考えることが出来る。

今回は①の戦後社会を「今日」と考えるが、この期間に今日危惧の発端となる特徴的な事件が発生している。
① 水俣病事件におけるネコ400号実験と厚生省食中毒部会解散
② フォード社のピント事件
③ 薬害クロロキン網膜症における厚生省製薬課長の証言
④ ネスレ粉ミルク事件
これらの事件はいずれも単純な過失ではなく、故意に近い見過ごすことができない酷い事件だ。
科学の発展と工業化が進んだことで被害が発生した事件と言えるから「工業化被害」と言ってもいいのではないか。

しかし一方で、原因となったこれら近代工業と市場システムは、人類史上初の衣食住の足りた世界を実現し「人権・平等・自由」を標榜できる世界を生み出したことも事実である。
それ故、科学を利用した近代工業と市場システムは人間が生み出した知恵と言える。

地球上の人類のこの賢い知恵は、今ではあらゆるものを商品化資源化して国家群単位の対立を激化し、地球を温暖化し気候までも変えてしまった。今、地球の生物の多様性は失われ、人類の持続可能性まで危惧される事態を招いてしまっている。

【レイチェル・カーソンは「沈黙の春」で、地球に生命が誕生して以来自然環境とそれが支える生命との間には限りなく密接な相互依存がある。この地球は、人間だけの世界ではない。動物や植物もいっしょに住んでいるのだ。と言っている。】

会場から質問

実川さんは、講演の最後に
「人間と人間以外の生きもののモラルが対立したらどうするのか?」
との問題提起で締めくくられた。
実川さん圧倒的熱弁の2時間でした。
 
次回のなごや環境大学後期講座は11月19日(土)11時〜16時、
なごや国際センター4階展示スペースにおいて
「沈黙の春」出版60年のつどい、です。
カーソンの生涯や偉業を展示パネルで学び、併せてレイチェル・カーソン日本協会上遠恵子会長の講演ビデオを視聴します。



市民の力で保全された藤前干潟の現状と展望

2022共育講座 市民の力で保全された藤前干潟の現状と展望
2022/08/27 レイチェル・カーソン日本協会東海フォーラムによる「なごや環境大学2022共育講座」が開講されました。稲永ビジターセンターに於いて、密を防ぐなど十分な感染対策を講じた上での開催です。
会場の稲永ビジターセンター

夏休み最後の週末、前期講座第4回のテーマは「市民の力で保全された藤前干潟の現状と展望」です。眼前に藤前干潟が拡がる稲永ビジターセンターでの開催です。
講師は、20年以上前から藤前干潟の保全運動を中心になって担ってきたNPO法人藤前干潟を守る会理事長亀井浩次さんです。
藤前干潟を守る会亀井理事長

亀井さんの冒頭の自己紹介でまずビックリ。亀井さんのご専門は「アメリカ環境文学」だそうです。冒頭から、聞いたこともないアメリカの思想家の名前がでてきて驚きました。が、お話はレイチェル・カーソンと干潟の関連へと展開していき次第にお話にのめり込むことになりました。参考資料としてレイチェル・カーソン著「海辺The Edge of the Sea」「われらをめぐる海the Sea Around US」から抜粋資料が配布、ご説明があり、藤前干潟の保全とレイチェル・カーソンの関係への理解が深まり、参加者は皆納得の表情になりました。

市の藤前干潟でのごみ埋め立て計画は1994年にアセスが開始され、全世界に議論を巻き起こしその結果1999年に市は埋め立てを断念することになりました。その後市による「ごみ非常事態宣言」、2000年の東海豪雨を経て2002年ラムサール条約締結、2010年生物多様性条約国会議へと進展してきました。「藤前干潟の保全」はこれら一連の過程のその原点とも言えます。

「藤前を守れ」の声は、当初は藤前干潟がシギ・チドリなどの貴重な渡り鳥の渡りの中継地になっていることからバードウオッチャーから上がりました。その後議論の環が拡がるにつれ、「何故そこに渡り鳥があつまるのか」が議論の中心になってきました。参考資料にレイチェル・カーソンによるスナモグリの話が出てきますが、藤前アセス第3回公聴会(1997)で「アナジャコ」の話が提起されたことが思い出されます。

藤前干潟を守る会では、藤前干潟が保全され、ごみ減量、地球環境保全の声の高まりにつれて藤前活動センター、稲永ビジターセンターでの施設訪問者が増加したことから、次世代養成のためガタレンジャー養成講座に取り組み、併せて海洋汚染防止の運動にも力をいれてきました。藤前干潟ではごみ拾いイベントを春・秋の年2回開催し、答志島などでの伊勢湾内での活動、東北での活動へも参加してきました。

お話の最後に、亀井さんは「埋め立て反対の声を上げたから目のまえの干潟も残っている」と話されました。開発計画があっても残したいと思えば「声を上げるべきだ」この干潟も声を上げたらこそ残っている!
すぐ北隣の名古屋市野鳥観察館

講義を締めくくるにあたっていくつかの質問がありました。
Q:藤前干潟が保全され、その後、渡り鳥はどうなったのか?
A:今では渡り鳥の数は激減している。理由はハッキリとはわからない。渡りの中継地は沢山ある。温暖化などもあり、それぞれの地域による原因が複雑に絡んでいるようだ。

Q:アセスでは、埋めたて後人工干潟建設案があったが、人工干潟についての見解は?
A:代償措置としてあったが、当時の運輸省もOKを出さなかった。
その後、全国の人工干潟の例を見に行ったがどこも成功している例はなかった。
もともと干潟があったところを戻すのであれば可能性はあるが、もともとなかったところに干潟を造ることはできない。

Q:70、80年代の公共用水域が酷く汚れている時代から「藤前干潟を守れ」の声があった何故か?
A:庄内川からの工場排水は汚れていたが、干潟区域の海の汚染は当時でもそれほど酷くはなかった。名古屋港内の航路浚渫の影響かもしれない。一方で干潟生物量は80年代は多かった。東海豪雨の土砂堆積で減ったが今徐々に回復している。

Q:伊勢湾は昔はその全域、干潟だったとのことだが、20世紀になってほぼ埋めたてられてしまった現状から、伊勢湾全体の干潟回復計画のマスタープランはあり得ないのか?
A:伊勢湾に流入する木曽3川流域を含めた全体の流域マスタープランはあり得る。
藤前干潟の向こう側、規模縮小工事中の南陽工場

講義室の窓から遠く南陽工場が見える。高いクレーンが2本立っていた。南陽工場は日本で2番目の規模を誇る大清掃工場だった。只今規模縮小工事中である。

さて、前期講座も終了です。
後期講座第1回はレイチェル・カーソンと石牟礼の危惧―現代の人間存在を問う
NPO法人水俣フォーラム理事長実川悠太さんによる講座です。
10月15日(土)14時なごや国際センターです。