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干潟は残った

「干潟は残った」共育講座(レイチェル・カーソンと海、第2回)が開講される。

11月30日ブラザーミュージアムにおいて、共育講座「レイチェル・カーソンと海」第2回講座が開催された。今回は「干潟は残った」として、藤前干潟が残った経過と今後の課題をテーマに東海フォーラム事務局加藤がレポートした。

「藤前干潟が残って良かった」と言われるが、なぜ残ったのか?ごみ処分場が満杯になる、ごみが町に溢れる、大変だ。黒い不透明のごみ袋に缶・ビンまでも入れてごみとし、大型のごみも処分場に捨てていた時代になぜ、藤前にごみ処分場の建設を断念することになったのか?そして断念後はどんな問題が噴出し、その後の今は何が問題になっているのか?
伊藤さん

フォーラム事務局の報告は・・・
冒頭に、大阪夢洲IRあせす大阪市長記者会見放映

20年も前の藤前問題をなぜ今とりあげるのか?
それは大阪夢洲IRアセス問題を知ったからだ。
大阪市長は、IRアセスをIR事業者が決まっていない段階で府・市がIR事業を実施する夢洲の環境調査を始めると宣言し、その費用は後に決まる事業者に負担させると決めたと宣言した。
アセスは本来、事業者が行うものであり、結果を事業者が説明し、それに対して住民、行政が意見を言う制度である。それを行政が先行実施してそのデータを事業者が利用してアセスを行うという説明である。理由は、アセスにはどっちみち環境調査が必要であり、万博とIRは同時期に開催、オープンしたいため、時間がかかる環境調査の早期実施は大阪経済のためになるとの説明。
まるでアセスは経済発展のためのお荷物だと言わんばかりの大阪市長の発言である。驚くばかりだ。

藤前はアセスの過程で「環境に与える影響は明らか」として事業は中止になり、その後ごみ減量、持続可能な社会への挑戦へと舵を切った。藤前の経験からアセスの意義役割を知っている我々にとって大阪市長の発言は納得できない。

待てよ、藤前だって、事業者は名古屋市、審査するのも名古屋市だったではないか。
今ここで、藤前問題を再整理してみることになった。

藤前が持続可能な社会へと舵をきることができたのは、事業が渡り鳥に影響を与えることから、全世界から注目を浴びたからと言っても間違いない。また、情報を世界に発信する住民団体の優れた発信力と、諫早開発を止めることが出来きず傷を負った環境庁、国の動向が大きな支えになった。加えて、これらを支える、意志決定に重要なアセスシステムが名古屋市にあったことが大きい。いやそれだけではない。このような経過を辿ることができたのは、アセスの制度に沿った優れた住民の対応とともに、オンブズマンが問題にした海面下土地問題、住民団体が問題にした直接請求問題などが、いずれも行政に圧力となり、持続可能な解決につながったと言えるのではないか。

アセスに関してはWWFJAPAN自然保護室花輪伸一さんの論文に詳しく、伊藤フォーラム代表から読み上げられた。

花輪さんは公聴会陳述人でもあり、辻さんとともに1996年南陽地区会館・南陽工場での事業者説明会にも参加されており、アセスの経過を熟知されていた。
中川先生

また、レポート報告の最後に参加者の中から5名の発言があり、1997年公聴会で陳述人だった一人からは直接請求当時の経過説明と現在のアセス制度運用の問題点についての発言があった。また、辻さんから活動を引き継いでいる藤前干潟を守る会理事長からもご発言があった。


今後とも大阪万博IRアセスの動向には注目していきたい。
次回の共育講座「レイチェル・カーソンと海」第3回「SDGsの源流」は12月14日国際センター14:00です。
皆様のご参加をお待ちしています。


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