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石牟礼道子のまなざし

あなたは「石牟礼道子のまなざし」に耐えられますか?
こんな問いかけが胸に迫った・・
2020年1月18日なごや環境大学共育講座「レイチェル・カーソンと海」第4回講演会が開催された。水俣フォーラム事務局長の実川悠太さんによる「石牟礼道子のまなざし」である。
まなざし

実川さんの講演会は1年前にもあった。その時に感じたのは、「石牟礼さんは読みにくい」と感じるのは私だけではなかったことである。その時、妙に安心したことを覚えている。

石牟礼道子は小説家ではないが、物書きでもない「特異性」を持っている、と実川さんは語る。「苦海浄土」は1969年に刊行され1970年に大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、辞退している。そして、その理由を説明していない。ここに「特異性」のヒントがあるようだ。

石牟礼さんは昭和2年という戦争の時代に生を受けた。そして終戦を迎え、彼女の中に人間社会に対する不信感が芽生えてくる。そして結婚、長男出産を経て、筑豊の炭住を舞台にした文化活動であるサークル村に参加し短歌などを投稿するようになる。その過程で長男が結核を患い入院、その病院で水俣病患者のまなざしに出会うことになる。
水俣病について知りたいと思った彼女は、水俣病の第1発見者であるチッソの病院長細川医師を訪ねることになる。そこで大量の資料を受け、1960年にサークル村機関紙に民衆の言葉で民衆の目に映った「奇病」を発表。
彼女の言葉は、肉体を通した呻きのような言葉だった。余計なことは要らなかった。言葉を操る人は要らない。だから彼女は「怒ったり、泣いたり」はしない。

実は私は、1970年チッソ一株株主として大阪での株主総会に参加したことがある。患者さんの御詠歌、右翼の怒号飛び交う大混乱の総会であったが、石牟礼さんの落ち着いた言葉が半世紀経過した今もしっかり耳に残っている。是非聞いていただきたい。
まなざし2

緒方正人さんの言葉、「チッソというのはもう一人の自分だった」。石牟礼道子さんのまなざしを受けて、自分に返ってくる言葉です。

2020年度第1回共育講座は「SDGsカードゲーム」を取り上げます。5月23日(土)14時〜名古屋国際センターです。

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