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公害資料館のネットワークと協働

2021/10/2 レイチェル・カーソン日本協会東海フォーラムによる「2021後期なごや環境大学共育講座」が開講されました。なごや国際センターに於いて、密を防ぐなど十分な感染対策を講じた上での開催です。

2021後期講座第1回のテーマは「公害資料館のネットワークと協働」です。
水島地域環境再生財団の林美帆さん(元あおぞら財団)の講義でした。
林さんは、学生時代アルバイトで大阪西淀川公害訴訟の資料整理に関わったことがキッカケで、その先に公害資料館を描きながら「あおぞら財団」に就職されたそうだ。
林講師

公害資料館?そうだ、隣の四日市には立派な資料館があるのに、名古屋市にはない。
名古屋には何故ないのか?
それは名古屋の街が辿った戦後復興による公害の構造が四日市とは違うからだと誰かが言う。
戦後の名古屋の街は1959年の伊勢湾台風の被害の影響を抜きには語れない。伊勢湾台風の被害住民の多くは戦災復興事業に伴い市内中心部から南区の市営住宅に移り住んだ人たちだったことから伊勢湾台風による犠牲者は公共事業の犠牲者とも言われていた。台風後は、災害復興と高度経済成長の波に乗り、台風被災地の重工業化が一気に進んで公害発生とともに今の名古屋の街が形作られた。
名古屋の重化学工業化は、四日市から一歩遅れたのだが、その後新幹線、大規模道路建設などの公共事業を巻き込みながら名古屋南部地域に大気汚染、水質汚濁、騒音・振動などの公害をまきちらすことになった。
名古屋の場合、新幹線公害、大規模道路公害など、公共事業による公害問題が酷かったこともあり、石油コンビナートによる四日市大気汚染とは構造が違っていたとの指摘だ。
全景

そんなわけで、確かな根拠もなく、名古屋には公害資料館がないと勝手に思い込んでいたら、講師の林さんたちは、10/2の講義に先立って「エコパルなごや」を見学されたと言う。
そうだ。「エコパル」は展示室もある、ワークショップもやっている、そうか「エコパル」だって立派な公害資料館ではないのか・・・

〇林さんは、公害資料館の条件として次の3条件を挙げる。
① 公害地域にあって公害の経験を伝えようとする施設や団体であること
② 展示施設、アーカイブス機能、研修受け入れ機能のどれかを有すること。建物などの有無は問わない。
③ 運営主体は、公立、民間などさまざまな運営形態があり、公害資料館の間には立場により運営方針や主張の違いがあっても良い。
➡公害資料館ネットワークによる「公害資料館ネットワークの協働ビジョン」(2016)
これも「エコパル」は十分クリアしている。

〇全国の公害資料館は「公害資料館ネットワーク」を組織し、公害経験の伝承という課題にとりくんでいる。そこでの問題意識は、
 日本の公害経験は、十分に解釈され学習されないままに、忘却されてしまうのではないか?
 減っていく当事者
 繰り返される公害
 公害経験の何を、どうやって継承するのか?は十分に議論されていないのではないか?
 各地で設立されている公害資料館は、公害経験を継承する上で重要な役割があると期待されるが、その役割は明らかでないのではないか?
 公害経験を、「悲惨な出来事」「過去のあやまち」として語るだけでなく、現在・未来と接続されたものとして継承することが必要で、その方法とは何か?

➡ここでの林さんからの、一言が強く印象に残った。
現在の価値観で過去を断罪するな!
これが難しい。林さんたちが、あおぞら財団で突き当たった最初で最大の壁のようだ。
公害にはさまざまなステークホルダーが存在する。被害者、原因企業、働く人、住民、自治体、国、大学などだ。公害訴訟の結果としての和解についても、和解をテコに環境改善の第1歩として考えるのか、和解は悪化した環境を認める毒饅頭とみるのか・・・
被害者、企業、労働者、住民、行政みんな公害解決に頑張った。そこの互いの立場の尊重と理解が基本にないと公害経験の伝承は進まない。
あおぞら財団での悩みは全国の公害資料館でも有していると考え2013年にネットワークを組織した。その名も「公害資料館ネットワーク」である。
その設立までの経過は以下
 1996年財団法人公害地域再生センター(あおぞら財団)設立
 2000年 「環境庁文書をはじめとする公害・環境問題資料の保存に関する緊急要請」 
 2002年「公害・環境問題資料の保存・活用ネットワークをめざして」シンポジウム
 2006年 あおぞら財団付属西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ) オープン
 2009〜2011年「公害地域の今を伝えるスタディツアー」(あおぞら財団) 地球環境基金
 2011年 環境教育等促進法 公布
 2012年富山県立イタイイタイ病資料館開館記念「四大公害病資料館の連携にむけて」シンポジウム
 2013年 環境省事業「地域活性化を担う環境保全活動の協働取組推進事業 」を活用してネットワーク設立
 2013年公害資料館ネットワークは多様な公害資料館の相互学習ネットワークとして設立された。
公害資料館の多様性を認めるゆるやかなネットワークでの交流を通して、公害地域間の差異を認識し、相互学習が生まれ、資料館同士が相互補完する例も生まれている。

 2015年には大議論を経て協働ビジョンが作成された。
「各地で実践されてきた「公害を伝える」取り組みを公害資料館ネットワーク内で共有して、多様な主体と連携・協働しながら、ともに二度と公害を起こさない未来を築く知恵を全国、そして世界に発信する。」

〇林さんは未だ「公害問題は生乾き」の状態と言う。
 当事者(特に被害者側)が、多様な解釈を許さない
 今も存続する加害企業は、過去の公害に触れられたくない
しかし、今日本は3.11福島第一原発事故をキッカケに、「公害から学ぶ」必要性が認識されてきたと言えるのではないか。

林さんのお話を聞いて、この名古屋も、公害資料館ネットワークに参加することの必要性を強く感じた。

10/2は林さんのお話の最前席に、大阪市立大学教授除本理史(よけもとまさふみ)先生が同席されていました。時間が無くご紹介はできませんでしたが、林さんのご講演の前に、事務局へ先生の著書・「公害から福島を考える」と、研究論文「福島原子力発電所事故に関する伝承施設の現状と課題」を頂きました。
私は、除染の仕事で3年間福島に住みましたが、その間伝承施設に行ったことはありません(当時は少なかった)でしたが、論文を読んで、2020年開館した全額国の交付金で建設された原子力災害伝承館(双葉町)と2021年3月に開館した原子力災害考証館(いわき湯本温泉)の2施設は是非行ってみたいと思います。
除本先生

今週10/9に予定していた「水俣病」の世紀と今日の課題は、講師のご病気のため延期しました。次回の共育講座は10/23東海市における公害(降下ばいじん問題)とは?です。
みなさんのご参加をお待ちしています。

*******
追記
仮に、林さんのお話に沿い、名古屋で公害資料館パネルを作成するとこのようになるのかな???
1なぜ公害は生じたの?
 戦災復興、伊勢湾台風被害復興、経済発展、国土交通網整備
2公害が社会問題に
 公害訴訟(新幹線、南部公害)和解、
3被害を救済するために
 公害健康被害補償法指定地域
4公害をふたたび起こさないために
 予防原則を取り入れた環境アセスメント(藤前干潟埋め立て中止)
5世界が豊かな社会になるために
 市民・企業・学校・行政などが立場や分野を超えて協働で運営し互いに学び合うネットワークとしての環境大学を設立。
 SDGs未来創造クラブ活動によってまちづくり、人づくりを推進。

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