2022/08/27 レイチェル・カーソン日本協会東海フォーラムによる「なごや環境大学2022共育講座」が開講されました。稲永ビジターセンターに於いて、密を防ぐなど十分な感染対策を講じた上での開催です。

夏休み最後の週末、前期講座第4回のテーマは「市民の力で保全された藤前干潟の現状と展望」です。眼前に藤前干潟が拡がる稲永ビジターセンターでの開催です。
講師は、20年以上前から藤前干潟の保全運動を中心になって担ってきたNPO法人藤前干潟を守る会理事長亀井浩次さんです。

亀井さんの冒頭の自己紹介でまずビックリ。亀井さんのご専門は「アメリカ環境文学」だそうです。冒頭から、聞いたこともないアメリカの思想家の名前がでてきて驚きました。が、お話はレイチェル・カーソンと干潟の関連へと展開していき次第にお話にのめり込むことになりました。参考資料としてレイチェル・カーソン著「海辺The Edge of the Sea」「われらをめぐる海the Sea Around US」から抜粋資料が配布、ご説明があり、藤前干潟の保全とレイチェル・カーソンの関係への理解が深まり、参加者は皆納得の表情になりました。
市の藤前干潟でのごみ埋め立て計画は1994年にアセスが開始され、全世界に議論を巻き起こしその結果1999年に市は埋め立てを断念することになりました。その後市による「ごみ非常事態宣言」、2000年の東海豪雨を経て2002年ラムサール条約締結、2010年生物多様性条約国会議へと進展してきました。「藤前干潟の保全」はこれら一連の過程のその原点とも言えます。
「藤前を守れ」の声は、当初は藤前干潟がシギ・チドリなどの貴重な渡り鳥の渡りの中継地になっていることからバードウオッチャーから上がりました。その後議論の環が拡がるにつれ、「何故そこに渡り鳥があつまるのか」が議論の中心になってきました。参考資料にレイチェル・カーソンによるスナモグリの話が出てきますが、藤前アセス第3回公聴会(1997)で「アナジャコ」の話が提起されたことが思い出されます。
藤前干潟を守る会では、藤前干潟が保全され、ごみ減量、地球環境保全の声の高まりにつれて藤前活動センター、稲永ビジターセンターでの施設訪問者が増加したことから、次世代養成のためガタレンジャー養成講座に取り組み、併せて海洋汚染防止の運動にも力をいれてきました。藤前干潟ではごみ拾いイベントを春・秋の年2回開催し、答志島などでの伊勢湾内での活動、東北での活動へも参加してきました。
お話の最後に、亀井さんは「埋め立て反対の声を上げたから目のまえの干潟も残っている」と話されました。開発計画があっても残したいと思えば「声を上げるべきだ」この干潟も声を上げたらこそ残っている!

講義を締めくくるにあたっていくつかの質問がありました。
Q:藤前干潟が保全され、その後、渡り鳥はどうなったのか?
A:今では渡り鳥の数は激減している。理由はハッキリとはわからない。渡りの中継地は沢山ある。温暖化などもあり、それぞれの地域による原因が複雑に絡んでいるようだ。
Q:アセスでは、埋めたて後人工干潟建設案があったが、人工干潟についての見解は?
A:代償措置としてあったが、当時の運輸省もOKを出さなかった。
その後、全国の人工干潟の例を見に行ったがどこも成功している例はなかった。
もともと干潟があったところを戻すのであれば可能性はあるが、もともとなかったところに干潟を造ることはできない。
Q:70、80年代の公共用水域が酷く汚れている時代から「藤前干潟を守れ」の声があった何故か?
A:庄内川からの工場排水は汚れていたが、干潟区域の海の汚染は当時でもそれほど酷くはなかった。名古屋港内の航路浚渫の影響かもしれない。一方で干潟生物量は80年代は多かった。東海豪雨の土砂堆積で減ったが今徐々に回復している。
Q:伊勢湾は昔はその全域、干潟だったとのことだが、20世紀になってほぼ埋めたてられてしまった現状から、伊勢湾全体の干潟回復計画のマスタープランはあり得ないのか?
A:伊勢湾に流入する木曽3川流域を含めた全体の流域マスタープランはあり得る。

講義室の窓から遠く南陽工場が見える。高いクレーンが2本立っていた。南陽工場は日本で2番目の規模を誇る大清掃工場だった。只今規模縮小工事中である。
さて、前期講座も終了です。
後期講座第1回はレイチェル・カーソンと石牟礼の危惧―現代の人間存在を問う
NPO法人水俣フォーラム理事長実川悠太さんによる講座です。
10月15日(土)14時なごや国際センターです。
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