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水俣病患者の言葉

 水俣病患者の言葉―“スマート”な社会への問い
2024/01/27 レイチェル・カーソン日本協会東海フォーラムによる「なごや環境大学2023後期共育講座」が開講されました。

2023後期講座の第3回は、水俣病患者の言葉―“スマート”な社会への問いです。講師は、認定NPO法人水俣フォーラム理事長実川悠太さんです。
熱弁
実川さんはなごや環境大学共育講座で毎年、ご講演いただいており、今年のテーマは、「水俣病患者の言葉―“スマート”な社会への問い」となりました。
さてスマートな社会への問いとはなんでしょうか?よくわからず講座に参加したわたしたち。

実川さんの講座は、配布されたレジュメに従って「水俣病事件と私」 から始まりました。
実川さんと水俣病との出会いは、患者さんたちのチッソ本社前の座り込みだったそうです。
その出会いから約50年、社会がその頃と比較にならないほどスマートになりました。そんな今、患者さんの言葉を通じて現代社会を考えることが講座のテーマでした。

スマートな現代社会とは何でしょうか。GDPが上昇したことは事実ですが、マイケル・サンデルは全世界的対立軸=選択肢を「共同体主義かグローバリズムか」であると指摘し、ラトゥーシュのように「脱成長への脱却が世界的な課題だ」を論じる研究者もいる。
いずれにしろはっきり言えるのは、今は誰しも自由を語り平和を平等を語ることが出来る「大多数の1人にとって人類史上まれにみるめぐまれた時代になった」ということだ。

この恵まれた社会を支えてきた一つの象徴はチッソの技術である。チッソは画期的な可塑剤を開発しプラスチックを普及させ、高純度シリコンを開発し、GDP上昇の基礎的素材を提供してきた。
そしてその反面、恵まれたスマート社会成長の裏に失ったものがあった。メチル水銀による被害の拡大である。フィリップ・グランジャンが、「水銀使用は胎児の大脳発育を害する」ことを明らかにしたにも関わらず、地球規模の水銀汚染が明らかになったにも関わらず、水銀の流出を直ぐに止めなかった日本。私たちはそんな日本でスマート社会の蜜を今でも享受している。

渡辺京二は自然に働きかけて生きてきた水俣病患者自身による闘争を「生活基層民自身の言葉が表出した稀な機会」と言った。その患者さんの言葉から考えていきたい。
〇浜元フミヨの言葉
漁師、訴訟派患者家族
1970「いのちは買えん、親は両親、弟は片輪」(チッソ社長に、株主総会にて)
1973「人間な、何のために生まれたち思うか」(チッソ社長に、自主交渉にて)

〇川本輝夫の言葉
自主交渉派のリーダー、仕事が終わって後、夜遅くまで潜在患者発掘のため自転車で走り回る。
1972「大学が今のままなら水俣病はいくつあっても足りん」(チッソ重役は一流大学卒)
1972「どうすればソ連や中共からおカネ貰えるんじゃろか」(取材者に対して)

〇杉本栄子の言葉
かなりの重症患者だったが、これも試練と考えたい。恨みたくないとの気持ちから
90年代「水俣病はのさり(賜り物)」
00年代「チッソを許したい」
〇緒方正人の言葉
3歳で発症、芦北の漁師、認定申請患者協議会会長。川本輝夫とともに献身的運動の後に
1985「私もまたもう一人のチッソだった」
1985「罪深いチッソこそ救われなければならない」

時は流れ、患者さんの中には金銭補償より、魂の救済を求める言葉も聞かれるようになった。
GDP幻想のスマート社会に生きる私たちはこのような患者さんの気持ちをどのように理解できるのだろうか。
患者さんの言葉は、スマート社会でしか生きられない私たちの価値基準を変えていくヒントになるだろう。

患者さんの言葉を聞いてスマート幻想に根付く価値基準を変えることを考えさせる実川さんの講座は
わたしたちは変われるか」で締めくくられた。

質問


今回の実川さんの講義、この続きは
2024年水俣京都展(12月7日から22日まで)でも考えてみたい。

講座の質問にとりあげられた斎藤幸平さんのエッセイは水俣フォーラムホームページをご覧ください。


患者さんの言葉、これまで私たちはどこか他人事のように聴いていたのではないだろうか。死を自分事と感じることができるようになった時どのように聞こえてくるのだろうか。京都展で一人考えてみたい・・・
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